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会津みそのルーツ

鶴ヶ城

会津は奈良以前から東北の経済文化の中心として栄えました。

平安時代には、最澄・空海と並ぶ高僧として知られた徳一大師が会津の地にあって仏教布教につとめました。平安後期から鎌倉時代には多くの寺院が建立され、奈良・京都・鎌倉に次ぐ一大仏教都市を形成しました。会津磐梯山の山麓に建立された徳一大師開基の恵日寺は堂塔伽藍百、僧兵三千人を数えると言われる大寺院でした。

戦国時代は葦名氏の領国でしたが、天正十七年(1589年)伊達政宗が葦名氏を滅ぼし、会津の黒川に本拠を置きました。その後豊臣秀吉の奥州仕置きによって蒲生氏郷が会津入りし、文禄二年(1590年)には蒲生氏郷が会津城下町の町割りを定めました。これが現在の会津城下町の始まりといえます。その後会津は上杉・蒲生・加藤と変わり、寛永二十年(1643年)二代将軍の子の保科正之の入封となります。

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